チケットで描いた生命線

主に感情備忘録

「TOHO MUSICAL LAB.」『わたしを、褒めて』『DESK』感想

「TOHO MUSICAL LAB.」2日間4公演、お疲れ様でした。

本当に楽しい実験の2日間で、まだ大興奮冷めやらぬ状態です。

勤労感謝の日とその前日に行われた、2本のお仕事ミュージカルが今回の、TOHO MUSICAL LAB.

有澤樟太郎くん主演の『わたしを、褒めて』と東啓介くん主演の『DESK』の感想ブログです。

ネタバレもあるので、まずは配信を観ててください。12月10日まで配信中。3500円。

www.tohostage.com

 

『わたしを、褒めて』

日常と非日常の転換

まず、導入が最高。見事に騙された。

脚本演出家の高羽彩さんがマイクを手にぬるっとステージに登場。私の初見は公開ゲネプロだったので、てっきり「ああ、最初に脚本演出家が出てきて作品の説明をするのかな」くらいにしか思っていなかった。冗談も交えながら話す高羽さん。変わった演目だし、平日の夕方のゲネプロだしこんな時間に来る「皆さんも結構お好きですね?」と言われ、まあ物好きだよなあと自らを省みる。

今回のキャスト陣はどちらの作品も既にお芝居を観たことのある俳優さんばかりだったが、脚本演出の高羽さんも池田さんも、音楽のポップしなないでさんも深澤さんも存じ上げなかった。正直、どのようなものになるのか不安しかなかった。というのも、私は心のキャパが激狭人間で、いくら俳優の芝居が好きでも、脚本や演出が合わなければ作品を1㎜も楽しめない。だから発表された時は何とも言えない気持ちになった。大丈夫かな、今回は楽しめるのかな、と。

そんな不安を抱えたまま、その場にいた。だから「自分が想定される“顧客”になれるかわからない」のに、チケットというばかにならない値段の商品を購入する、そんな博打うちは物好きとしか言えない。

お好きですね?に苦笑させられたあとに「舞台が、ミュージカルが!」と高らかに続ける高羽さん。あ、これ芝居だ。ここでやっと気がついた。こんな楽しいことがあってたまるか。もうここで私の期待値は最高潮になった

そのまま舞台では高羽さんが見えない語り手として、登場人物(舞台を作る人たち)を紹介していく。

 

舞台は、初日開幕直前の舞台裏。どたばたしていて、同時に高揚感があって、もう観ている方は楽しい。

舞台監督さん

個人的に舞台監督さんが好き。少し怖い人かと思ったけど、総括する人間として舞台作りに責任感を持っていて、視野が広くて気が回る人だというのがセリフの節々から伝わってくる。衣装さんを気にかける「大丈夫? 間に合う?」が優しい。ついていきたい人だなと思う。というか、現場にいたら安心できる人なのだろうなと感じた。「水川あいつ、いつか殺す」にげらげら笑ってしまった。思うよね、うん。提案をないがしろにしたくせに、その場で現場をバタバタさせる無計画上層部に。と同時に、「あの女」と表現しないところがいいなと思った。マネージャーさんにあたりが強いのも、彼の中の「縄張り意識」のようなものが見えて面白い。

『わたしを、褒めて』の登場人物は、言葉の節々に彼ら彼女らの人間的な善性と共感できてしまう等身大なダメなところが出ているのが面白いし、この作品のもつ愛らしさなのだろう。

 

ここでエマージェンシー(緊急事態)発生。なんなんエマージェンシーって。

 

星奈和(ほしなかなう)くん登場

ずるい。有澤樟太郎が全部もっていった。2日間ずっと大笑いしてしまって申し訳ない。

星奈くんの演じるミカエルのド派手衣装が、事務所の社長(稽古もろくに観に来なかった「ばばあ」by演出家朝日さん)にゲネプロを観た後に笑われた。それにこの衣装は自分の解釈とは違うから衣装を変えろ、というわがまま要求からの、若手俳優あるある(?)ブチギレソング。魂のロック。

出オチ感満載の星奈くん(※ミカエル衣装着)はいたって真剣。彼は要求しているので。

natalie.mu

 

星奈くんの登場ナンバーまで、開幕から約8分、約1/3経過して主演の有澤くんの登場。「みんな待たせたな 俺こそが主演俳優 星奈和だ」これは『わたしを、褒めて』の観客の気持ちにリンクするのが面白い。待ってました!待ってたけれど、待ってたけれど、待ってほしい。衣装が面白すぎて(星奈和の舞台が)ド地雷舞台の予感しかない。

ここでもしもの時のために衣装さんが用意していた予備の衣装たちの提案タイム。どれも星奈くんにはピンとこない。

私はこのシーンのセリフが『わたしを、褒めて』で一番好きだ。星奈和という人間の人から愛される理由がそこにちりばめられているからだ。わがままだけど。

彼は最初から否定をしない。

「それもいいけどなんか違う」「あ゛ー、かっこいいね!でも違う!」「あと一声!」

彼はむしろ、衣装さんの用意してくれた衣装自体には肯定的な言葉をかける。「自分の解釈とは違う」から却下するのだ。追い詰められている、顔だけで素人同然のぽっと出の新人俳優である星奈和が、この土壇場でも相手の仕事に対するリスペクトを忘れていないのがすごい。むしろ土壇場だからこそ、そういったことは特に意識しておらず彼の人間性が出ているのだろう。これこそ彼が愛されるゆえんなのだろうスタッフワーク尊重できていないけど

ここでやっと上演作品が「スチームパンク フランス革命」だと判明する。なるほど。わからん。でも日本、そういうどこに需要があるのかわからない、変わり種好きそうだよね。4時間くらいのストプレで、途中に歌あり笑いあり。映像畑の新人俳優を初舞台・初主演と大々的に宣伝する、テレビ局主催の舞台。

 

5分にわたる登場ナンバー、この曲で完全に観客を掴むんだという制作陣の気合いが伝わってくるのも、観ていて楽しい。

有澤くんが演じる星奈和の怒りの表現が本当に魅力的で、好きな部分を言ったらキリがない。

スタッフ陣の陰口が聞こえていたと歌うところ、何と言おうと喝采を浴びるのは自分だから「うらやましいだろ?」とマウントをとるところ。怒りの表現をコミカルにできるのが本当にすごいなと。舞台衣装で舞台メイクのまま目を大きく開いて煽る姿は芝居がかっているのに、彼の内なる怒りが真剣で、だからこそ滑稽に見える。

そして何より身につまされたのは客席の否定的な反応やマナー違反への憤り(※先日まで同劇場で上演していた作品の客席地獄絵図の噂を思い出していた)と、「お前らはいいよなぁ!ネットで拡散されなくて!」という矢面に立たされる者の苦しみ。

 

ごめんね。(by和田さん)

 

悪ふざけは置いておいて。

先述の通り、私は表現が好きな俳優が出ているからと言って全肯定することや、批判意見を黙っていることができない人間だ。オタクである前に消費者なので。買ったものの感想を言いたいときは言う。商品の所有者は私であり、感情の持ち主も私なので。それにどちらか一方の感情だけを殺してしまったら、それはもう人間ではない気がする。

でも表面的に見れば俳優は矢面に立たされている。こちらが納得できなかったものが俳優でなく脚本や演出であり、それに対する批判をしたのだとしても。目に見えるもの、五感で認識できるものしか、人間には認識することができない。舞台の上に「見える」のは俳優。その「物語」の実体ではない。どこに向けた言葉なのか、何に対しての評価なのか、一般的には深く追及されることはない。したがって私がここで何を言ったところで「俳優のオタクが何か言っている」と思われるのだろう。人間とはそれくらい脆弱な生き物だ。

先日、楽しめない作品があった。体力も気力もなかったので軽く文句を吐いて終わったが、怒りはまだ元気に大手を振っている。コント舞台だったが、最前列で一回も笑わずに終わった。俳優は悪くないのだが、目の前にいる俳優は自身が否定されたのかと思うのだろうか。それは申し訳ない。その作品に思考も言葉も尽くすのが馬鹿らしくて考えたくないが、一言いうならば「チケット代返せよ」。

脱線した。

ゴジラVSメカゴジラ(比喩)

ゴジラVSメカゴジラに話を戻そう(詳細は下記リンク)。

okepi.net

エリアンナさん演じるプロデューサーさん。『わたしを、褒めて』の中で私の推し役だ。

囲み取材中止の理由が「機材トラブルにより中止」、これは観客が一番恐れる隠語(周知)だ。ブラックユーモアすぎる。実際にあったら笑えないが、コミカルな表現とその後の表情に大笑いしてしまう。

そして演出家VSプロデューサーの頂上決戦開幕。イントロから最高におしゃれだ。

だが彼女らの会話(歌)はそれぞれの正義がぶつかり合う白熱したものだ。「クオリティ」免罪符にしていいと思うなVS「クオリティ」にこだわるのは当たり前だ、そもそも演出家などに価値はない、観客が見に来るのは星奈和だから「あんたの名前が消えたところで誰も気づかない」というプロデューサー。痛烈に“一般的な”現実を突きつける。

だが当の本人である彼女はプロデューサーである。

プロデューサーというブーメラン

はたして彼女の名前を、観客の何人が知った状態で客席に座るのだろうか。

少なからず私は、プロデューサーの名前までいちいち確認しない。申し訳ない。

私が重視するのは俳優、演出家(日本の作品なら脚本)、あらすじ、主催の順で確認してチケットをとるかどうか考える。観劇後によっぽど酷かった時かよっぽど良かった時にしかプロデューサーを確認しない。なかにはプロデューサーに言及している人もいるが、相当コアな人だという印象がある。つまりプロデューサーの発言はすべてブーメランなのだ。そのことをわかって演出家に言い放つ、彼女のプロデューサーとして覚悟は並大抵のものではないのだと思う。

そもそも演劇界も例にもれず、上層部は男性が多い。ヘル。そんななかでプロデューサーとして地位を確立して活躍する水川はきっと若い頃から嫌というほど辛酸をなめてきたのだろう。持ち前の度胸もあるのだろうが、説得力がある。そういう彼女らの背景を想像させられるのも『わたしを、褒めて』の魅力である。魅力しかない。

 

マネージャーと事務所について

マネージャーの田之倉さん。

星奈和による大わがままナンバーからずっと彼女のソロまで「お前何してんだよ」と思った。俳優の表現を第一目的として見ている消費者なので、その俳優がはちゃめちゃになっているとその矛先はマネージャーに向いてしまう。ごめんね♪

屋比久さんの小柄で可愛らしい容姿と、誠実なお芝居と、透き通った歌声で誤魔化そうとしているのではないか?と穿った見方をしてしまった。初見の時は。

しかし、問題のありかはそもそも新人俳優の星奈和を若手の田之倉に担当させている事務所ではないか。ベテランの人にマネージャーに担当させるべきではないのか。

芸能界のことは全く知らないので知ったように言うなというのはわかるが、過去にイベント運営を担ったとき、タレントさんとマネージャーさんと関わったことが数回ある。たいてい「このマネージャーにこのタレントあり」というのがその時に感じたことだ。マネージャーが頻繁に変わる事務所もそうでないところもあるのだろうが、本当にマネージャーにはしっかりしていただきたい。マネージャーなのだから。だから放置して相手を尊重しない星奈和の事務所社長と人事部に憤ってしまう。とはいっても星奈和とマネージャー田之倉の間に信頼関係はできているのだろうと思う。衣装変更のわがまま要望についてもマネージャーに伝え、本人たちの交わす視線には力強い信頼が見えた。この先の未来、大炎上などなくスター街道をおっかなびっくり二人三脚で駆け抜けていってほしい(チーフマネージャーはそのあたりよろしく)。

 

主題に関わる部分は最高なので配信終了後に書き足そうと思う。本当に全力で面白い。

 

大団円のラストシーンは劇場で観ても、配信で観ても。鳥肌がたった。

それぞれにいろんな悩みや不安や不満を抱えながらも自らの仕事に誇りを持つ『わたしを、褒めて』の登場人物たち。「私はここに居ていいって思わせて」「頑張ったことには意味がある」そう信じて、共に幕が上がるときを待つ。たとえトンチキ舞台だったとしても彼らの上演する舞台はきらびやかなものになるのだろうなと思った。

赤い旗を持った星奈和がミカエルとなり、スモークがたかれる中で舞台奥の幕が上がっていく。我々観客は裏方の彼らとともに、ステージに立つ星奈和の輝かしい背中を見上げる。

 

楽しかった。本当に楽しかった。

会場のボルテージは最高潮。温まりすぎた感さえある。私も大興奮だった。この満足感のまま帰りたい。

25分の休憩中、繋がらない通信機器にやきもきしながら冷静になる。不安が過った。こんなに楽しかったのに、この後に『DESK』があるのか。大丈夫かな、と。

楽しめるのだろうか、私は。そんな不安を抱えたまま二幕の幕があがっていくのを見守るしかなかった。

 

 

『DESK』

舞台の幕が上がると、暗闇のなか積み上げられた机の一角でパソコンを叩く主人公の和田(東啓介くん)。

照明がついても、舞台は薄暗い。寒色系の冷たい無機質な光のなか、和田は電話を手に取り離婚相手に娘との面会の約束について話す。関係はうまくいっていない様子。

二人称「あなた」

離婚相手に用いる二人称は「あなた」。うめられない距離と敬意と不器用な愛がない交ぜになった複雑な感情が漏れ出る、この呼び方がいじらしくて好きだ。彼の人柄が見える。仕事で追い詰められていても、電話の時間がなかなか取れなくても、声を荒らげたりしない。あの修羅場なら「俺だって仕事が忙しいんだよ!」という、いかにもなセリフがでそうだが、そういったことはない。むしろ相手にきつく言われてもそれを黙って聞いている。これは罪悪感もあるのだろうが、彼の穏やかさが見えて個人的には好きだ。

あと何より、相手がどういう話をしているのかが手に取るようにわかる芝居をする東くんの演技に感動した。

 

舞台上に次々と現れるアニメーション会社の面々は皆、電話口の相手の行動に焦りと怒りを抱えながら電話をしている。切羽詰まった状態なのは自明である。

ランチミーティングってアリ?

ランチミーティング。異様な光景だ。世間では、これが普通なのだろうか。一休憩時間が一律の企業での就労経験がないので私にはわからないが、休憩時間にあたる昼食時に仕事に関係することを強要されるのだろうか。これ、労働じゃん。いずれにせよ、食事をとる時間に気が緩んだ瞬間に寝落ちしてしまう、いきなり大声で笑いたくなる、などなどの状況を見ればこの場が異常なことだけはわかる。

限界状態で高笑いをしながらいびきをかく壮一帆さんが見られるのは『DESK』だけかもしれない。面白すぎる。美しくかっこいい壮さんしか拝見したことがなかったので、そのオーラを消してコメディもこなすという新たな一面を見られた貴重な経験となった。

 

「いただけない」

職場の悲惨な現状に「いただけない!」と膝から崩れ落ち、頭を抱える和田。

彼は「デスク(「各話の制作にあたってスケジュールの予算の管理、必要なスタッフの采配などを行う仕事で、制作サイドを総括する」役割)」を担っている。

アニメ制作デスクになる方法とは?求められるスキル・やりがいについて | アニメ業界情報局

修羅場のなか、かかるのはメロディアスなオープニングナンバー。

この『DESK』は日本オリジナルのミュージカルとして上演する意味を存分に発揮した作品である。こんな地獄絵図、ストプレで観られるわけがない。「音楽の力」が最大限に生かされている。彼らの会話は歌われることは多くない。主に歌われるのは彼ら彼女らの鬱憤という鬱憤と、鬱屈した「言葉にならない」感情である。

「盛りすぎかと思われるかもしれないけど 結構リアル」地獄か。

高らかに切実に歌い上げる和田と、積み上げられた机の上で死んだ魚の目をしながら振り子時計のように揺れる面々。

この大地獄アニメーション会社は「TERA」という名前で、日本語では「地球」という意味だ。社員たちは笑顔で地球を形作る。希望に溢れる曲。結局「いただけない」まま、曲も休憩時間も終わり、昼食は誰一人としてとることができず、午後の業務が始まる。

 

アニメーターがクラブに逃亡し、デッドラインをこえたにもかかわらずカットが集まらない上野(豊原江理佳さん)。『転生したら牧場でのんびり暮らしました』の原作を読む気になれない人の心を失った中原(山崎大輝さん)。二人の会話には生気はない。

この二人の、仕事を辞めて「宝くじを当てる人になる」、仕事のせいで「人間的な部分が無くなった」という会話には身に覚えがありすぎて、思わず笑ってしまう。

ここまで見て「日常はエンタメにならない」と感じた。あまりにもこの作品が描いているものがリアルすぎるのだ。劇場に非日常性を求めている自分にとって、業種が違えど「あるある」が描かれているこの作品は、あまりにも息苦しい。

 

「宝くじを当てよう」

仕事を辞めると豪語している上野は、デッドラインといテープを引きちぎりクラブに逃亡した張本人が海外旅行に行っていると、電話口で知らされる。私はこの場面の曲の入りが大好きだ。

上野は叫び出したいのかもしれない、逃げ出したいのかもしれない、力の限り怒りをぶつけたいのかもしれない。しかし彼女はそれを全て堪えて歌い出す「宝くじを当てよう」(仮)。なんとも日本社会らしい。陽気なラテンのノリのこの曲は、きっと上野の電話口で聞こえていたものなのだろう。こちらは食事もとれずに家にも帰れずに、弁当に顔を突っ込んで寝落ちするくらいに追い詰められているというのに、あまりにも無責任すぎる相手に怒鳴りたくもなるだろう。でも、しない。このあらゆる不条理に対しての怒りを必死に押し殺した第一声が「宝くじを当てよう」になる。日本社会に生きる人間すぎる。客観視すると面白すぎる。我慢しすぎだ。

上野の性格もあるのだろう。彼女は真面目だ。音信不通で「飛ぶ」人が3人もいるこのTERAで最後までやり通す覚悟を決めたのは「人っぽくいたい」「社会人でいたい」から。筋を通すのが彼女の主義だ。今すぐにやめたいが、逃げない。生真面目で責任感が強いのだ。

「アニメは家で観るのが一番」のパントマイムでアンパンマンドラえもんをつかっているのも面白い。日本国民が親しんだことのある2作品だ。多くの人は中原のように、膝を抱えてこれらの番組の始まりを待っていたことがあるだろう。多かれ少なかれこの原体験が、彼ら彼女らのTERAに来た理由なのだろう。夢と希望に溢れここに来たにもかかわらず、このざまだ。まさに地獄。

 

プロデューサーとデスク

壮一帆東啓介のデュエット曲。短いながらもドラマチックで壮大なナンバー。ここまで聞くと繭期がスキップする。だが和田の歌い出しは「また怒られた しっかりしなくちゃ」だ。現実的すぎる。しかし、しっかりすればどうにかなる状況ではない。現状はいらすとやから素材を持ってきた方がましなので。しかし和田も三浦(壮一帆さん)もアニメーションや作品、登場人物への愛情は並大抵のものではない。そんな二人が「諦めたくない」という気力だけで立っている状態なのだ。作品への愛でカットがあがるわけではないが、愛を持った人をもってしても限界なのが切々と伝わってくる。

 

言い淀む(どもり)の表現

奏(和田の娘)と和田のリモート面会の場面は、好きなシーンの一つだ。

私は東くんの演技の中で、言葉が詰まる表現が好きだ。その人(ここでは和田)が話しているからだ。演じている人は消え、その役がそこで息をして、頭を働かせ、緊張しながらも懸命に話している。その役の息吹を感じられる。

だがわざわざセリフを言うのに、どもりを加える俳優は多くはない。だってセリフは決まってる、言い淀む必要がない。とくにミュージカルでははきはきとした立ち振る舞いが好まれる。だが、私はその愛すべき“人間”を魅せてくれる東くんのお芝居が大好きだ。

※「どもり」はここでは「どもるという状態」を指しており、差別的な意味で使用していません。

4分半にわたる和田のソロ

出ずっぱり、喋りっぱなし、歌もほぼメインで、ここにきて歌い上げるソロナンバー。

和田がアニメの世界を志した理由と、理想と現実。ブラック業界とわかっていながらこの道を選んだこと。家に帰れない、家族と会いたい。でもそれらをなげうってでも叶えたい夢があること。

「どブラックだった!」「ははははっ」無味乾燥な笑いが痛々しい。差し込まれる自嘲的な笑いと、希望に燃えた笑顔。

(おそらく)彼の音域最低音での芝居は、見ものだと思う。どすのきいた声と生活するには逆に不自由そうな長すぎる足。

広い音域と、響く歌声と、ビブラートと、細やかな芝居。すべてが堪能できる楽曲。ここまで彼の魅力を引き出してくれることに有難みを感じた。と同時に、自分でも忘れていた彼の声が好きという感情を思い出させてくれた。深みがあってドラマチックで華やかな、舞台にいるときの彼の七色の声が大好きだった。和田の初心を知ることで、自身も初心に帰ったような気分だった。

 

修羅場

現実にうんざりしたようで、泣き出しそうで、それでもやるしかないといった彼の諦念にも似た覚悟の修羅場。

額に汗を流し、息切れし、目も座り、膝から崩れ落ちても、他の誰がこと切れても、最後までやり遂げる。叫びながらたどり着いた最終話。狂気が頭をもたげはじめた瞬間。ずっとそこは狂っていた、でもこれまで自発的なものではなかったと思う。入社からの和田は、アウトレイジに流されるまま身をどブラックに浸していた。

ラストシーンまでたどり着いたことに目を輝かせ、声を震わせて大喜びする和田。和田の興奮は和田のものである(作画崩壊アニメの最終話にどれだけの人間が感動できるのだろうか)。

アニメの主人公のカナデの歌は疲れ切った和田の心に響く。苦しい状態から解放されたカナデは「みんなと一緒に生きていこう」と歌う。間違いなく希望の歌だ。

和田のファルセットが美しいだけに、激務から解放されたように見える。しかし「せめて夢のなかだけでは」なのだ。現実は異なる。彼がここで歌うことは、彼の現実ではなしえないこと、夢のなかだけで叶えられることというわけだ。歌い上げ詐欺である。どこまでも夢を見せてくれないのが『DESK』だ。最悪で最高

そして満身創痍で『転生したら牧場でのんびり暮らしました』を駆け抜けた面々の選択およびラストシーンは、ぜひ配信を見てほしい。最高にカタルシスを感じることができる。

しかし絶望する。私はした。

 

ラストシーンの解釈については、配信修了後に書き足そうと思う。気力があれば。

 

社畜製造ミュージカル。会社と心中する主人公。どこまでも晴れやかな顔をしながら、やりがい搾取を描いた『DESK』。

これが少し誇張されただけの、結構リアルな笑いになるのは、さすが日本・大ブラック社会というべきか。

ラストシーンの和田の表情は、見れば見るほど恐ろしい。ゲネプロから“ゾーンに入っていた”という東くんは完全に和田として、自身の信念を捧げた会社と行く末を共にしているようで、それも恐ろしかった。

 

やりがい搾取ミュージカル

『わたしを、褒めて』も『DESK』も、ブラックな業界を描いたお仕事ミュージカルだ。

そのどちらも、正面からコミカルにブラックな様相を描きながらも、その現状を打破する劇的な物語ではない。現状維持だ。保守的な性格の現代日本人は、現状維持の物語を好むらしい。変化することは自我を脅かすことになるので、恐ろしいからだ。

だがこの二本は、現状維持を肯定しているわけではない。現状維持のどブラックで不安な中で不安な者同士が手を取り合って何とか前を向こうとする『わたしを、褒めて』、どブラックに浸り続けて狂いながら独りで戦い続ける(ことになる)『DESK』。物語の主軸は問題解決にあるのではなくて、そこに生きる人の“こころ”を描くことにある。そういった面で『わたしを、褒めて』は希望の物語であって、『DESK』は大地獄作品だと思う。

観客の中には上演順が逆なのではないかという声もあったが、私はこの順番が妥当だと思う。

『わたしを、褒めて』でコメディと大団円を見せ、客席を熱気の飽和状態にしてから『DESK』という逃れられない現実を突きつける。ゆるやかに始まった楽しい非日常から、その狂気にのみ込まれ気がついたら日常の入口へと戻されていく。完全に計算された二演目だと思った。

 

これを“勤労感謝の日”に合わせて上演する東宝って……

 

かくもこうして不安を抱えながらチケットをとったTOHO MUSICAL LAB. は、とても楽しい実験となった。1週間くらいやってほしいくらいだ。

この作品の看板を背負った有澤樟太郎くんと東啓介くんは、昨年のジャージー・ボーイズでボブ・ゴーディオをWキャストとして演じた二人だ。私はチームBLACKのオタクとして公演を楽しんでいたが、この二人のボブの演じ分けも2022ボブの魅力の一つだと思った。同じ魂を持っているはずなのに、真逆だったからだ。Wキャストの面白さをあんなにも感じられる作品にはなかなか出会えないだろう。

正反対だけど似ている“ありとん”の二人の、新たな挑戦に立ち会えたことを嬉しく思う。今度こそ共演できるといいな。

 

おわりに

最後に、この素晴らしい日本オリジナルミュージカルの『わたしを、褒めて』と『DESK』という“勤労感謝の日の問題作”がCD化、円盤化されることを切に願う。

そしてこの作品に携わった皆様の労働環境が改善され、すべてのブラック企業・業種が消えうせることを真剣に祈る。